小言


最近思うこと。


現代の商業的な楽曲制作の現場って、
コライト(Co_Write:共作の意)で進められることがほとんど。


分業して、
・トラック(音源データの作成。要はカラオケ。編曲・アレンジとも)
・トップライン(メロディラインやコーラスラインの作成)
・歌詞
・仮歌
という流れでかなりハイクオリティなデモ音源が仕上がり、
作家事務所や制作会社各社よりA&Rの元に集まり、そこから採用が確定する。


このデモ音源、そのままリリースされますと言われても何も問題ないくらいハイクオリティ。
まだ採用されるかどうかもわからないのに。


そう、クオリティは高くて当たり前。
その土俵の上で「コンセプト・方向性的に合う曲」が選ばれる。


どれだけ時間的リスクと労力をかけても、決まるかどうかは先方次第。
こちらの頑張りは全く無関係。
競馬かよ。


それの善し悪しをどうこう述べたいというよりも、
僕が今回書きたいのは、【編曲】の意義。


本来、編曲(ここでは「アレンジ」も同義とする)って何かっていうと、
曲の魅力をより良く引き立てるために必要な音の肉付け作業なわけですよね。


僕は自分で曲を作るときは、
詞・メロ・コード・編曲はほぼ同時進行で進めて行きます。
でも最終まで残ってる作業は編曲です。
編曲の目的はあくまで歌を引き立てるための音付けだからです。


自分で言うのもアレですが、
曲に説得力というか、少なからずまとまりはつけられます。
無駄なく且つ最低限の音で構成するから。


つまり、トラックってのは曲ありきだってことなんですよ。本来ね。


だけども、
最近の商業用ポップスの作業行程では、
まず「トラックの募集」から始まることがほとんどです。
どんなメロ・詞が乗るかもわからない段階で編曲してくださいってことなんすよ。


詞はともかくどんなメロディが乗るかもわからなければ、どこに隙間が生まれるのか・どこが盛り上がりポイントになるのか、もわからないわけですわ。


するとどんなトラックが出来上がるか。


ストライクゾーンの広いトラックが出来上がるわけ。
要するに、ありきたりなトラックってこと。


トラックメイカーさんたちもね、
いや、本来なら俺たちはもっといいトラック作れるよ!って思ってるはず。
悔しいと思う。笑


昔はいわゆるギョーカイの人たちも、
「ギター一本に歌」ってデモテープで名曲になるかどうかの判断ができたっていうじゃないですか。
それが証拠に、今も語り継がれる名曲って多いじゃないですか。


ところが今のご時世、10年後20年後にも聴かれてるであろう曲ってどれくらいあるの?って話じゃないですか。


現代のA&Rに文句を言いたいわけじゃないけど、
編曲家・トラックメイカーさん達が本来の力を発揮できて、時代の波に耐久力のあるサウンドアレンジをできるような環境にはしていきたいと思うわけです。


全パート経験してるからわかるんですが、
イチバン大変なのって「編曲家」ですから。絶対。
なのに印税は「詞・曲・歌い手」にしか行かないですから。
一生働かなきゃいけないポジションなんですね。悲しい。


もっと「音作れる人」が優遇されないかな〜。
以上、今日の小言でした。


今日も冷え込みますね。
では。



TAK