「上手(うま)さ」の話


この前ネットの何かで見たんだけども


「上手さ」ってのは
技術があることではなく、
認識能力の高さである


みたいな文言を見かけたわけです。


もぉ〜おっしゃる通り!!
的確すぎてオシッコちびる。


そーゆーことなんですよね。


その文章は「絵」で例えてたんだけど、
これは音楽でも同じことが言えるよなと。


絵の話だと、
モデルとなる絵があって、見ながら描いていいという条件でも人によって仕上がりに差が出ると。


この差はペンの持ち方や線の書き方みたいな技術の問題ではなく、そのモデル絵を「どう捉えられているか」つまり認識能力の差であって、上手さとはそこである
みたいな話だった(気がする)。


歌のレッスンをさせてもらってる中でも、
元からうまい人、あるいは上達が早い人とというのはここだなーと感じる。


要は、元音源の歌い手さんの「やってること」をちゃんと認識できてるんですよ。
そして、やりたいビジョンと実際の再現能力とのギャップに悔しさや違和感を感じてるというパターンの人が多い。


そういう人は「◯◯ができないんです」と自分で課題をわかってる。


逆に上達が遅い人というのは、
自分なりの考察ができない、或いはしない。


これはつまるところ、
自分なりの正解のイメージを描けてないことになるので、
そりゃ迷走しますわなという話ですよ。


僕は正直、
音程やら発声やらってのは完璧じゃなくてもいいと思ってます(いいに越したことはない)。
ただ迷いがある歌はあまりいいとは思いません。


迷いのない歌は聞いてて単純に気持ちいいですし。


迷い無く歌うには、曲の解釈がしっかりしてた方がいい。
だからちゃんと認識能力を高めておく必要がある。


心にしっかり刺さる歌ってのは、
再現能力よりも認識能力の方が大事かもしれないですぜ?
っていう僕なりの歌に関する説でした。


長文失礼しました。
では。



TAK